伊深まちづくり協議会は、住みよく、うるおいのあるまちづくりをめざし、住民主体の活動を組織化、支援しています。

活き活き 伊深人

伊深人

 伊深地域で「活き活き」と活躍しておられる人たちを、定期的にインタビュー形式で紹介していきます。伊深のまちづくりに何かヒントが得られたり、パワーがもらえたりするかもしれません。(年齢は取材時)

  第19回  大矢 正明さん(上切)  2018. 9
  
  第8回  平田 由夫さん(野地原) 2014. 6
  第7回  木沢  猛さん(下本郷) 2014. 5
  第6回  渡辺 和典さん(上本郷) 2014. 2
  第5回  渡辺 幸子さん(上本郷) 2013.12
  第4回  渡辺  寛さん(上本郷) 2013.10
  第3回  西村 朝子さん(関也)  2013. 8
  第2回  森  昭和さん(下本郷) 2013. 6
  第1回  村井 昭二さん(下本郷) 2013. 4



 第19回  大矢 正明(おおや まさあき)さん(上切 昭和22年生まれ 71歳)

大矢正明さん

●はじめに……………
 シリーズ第19回目は9.15のお月見会の演者としてお招きした上切の大矢正明さん。一昨年の文化祭で独唱を披露された元高校教師の大矢さんは、自ら持病の腎臓病と闘いながら県患者会の会長として患者の地位向上にも尽力してこられたそうです。
 仕事のこと、病気のこと、ご趣味のことなどをお聞きしました。
(聞き手・文責:広報委員)

 まず職歴をお聞かせください。

  •  私は昭和44年に静岡大学を卒業し、平成18年に59歳で退職するまで県立高校の外国語教師を勤めてきました。ところが就職してまもない26歳で慢性腎臓病を発症し、将来人工透析が必要と診断されました。実際に透析を開始したのは50歳のときでしたが、心の準備ができていたため辛い透析生活にも比較的平穏に入ることができました。

 県の患者会の要職も勤められたそうですね?

  •  岐阜県の腎臓病患者は約5000人、このうち県の患者会「NPO法人岐阜県腎臓病協議会」に参加しておられるのが約2600人で参加率約52%というのは全国的にもトップクラスの参加率です。この会は腎臓病患者さんに対する予防啓発活動を中心に、政治的な要請も含めてさまざまな活動を行っています。今でこそ岐阜県の患者は自己負担なしで透析を受けることができますが、これも患者会をはじめ先人たちの命がけの活動があったからこそなんです。私は教職を勤めるかたわら、H19年以降、この団体の理事、事務局長兼広報部長、副会長、会長代行を勤め、H26から2年間は会長職も勤めました。今も顧問として予防啓発活動に関わっています。腎臓病には有効な治療法がなく、進行を抑える「自己管理」が最も必要なことなのですが、まだまだその認識が不足しており、患者さんにその重要性をもっと認識してもらうよう働きかけています。また、初期においては自覚症状がなく、知らないうちに進行してしまうこともある病気なので、健康な人たちにも理解を深めてもらうよう、活動を通じて呼びかけています。

 そのなかで「歌うこと」にも取り組んでこられた?

  •  加茂高校生のときブラスバンド部に入ったのを手始めに、大学のうたごえサークル活動などで歌う楽しさを知り、教師になってからはビートルズやジョーン・バエズなどの歌を英語の授業に取り入れるなどしてきました。その後関高校勤務のときに関男声合唱団に参加し現在も続けています。ソロで歌ったのは一昨年12月の「タウンホールとみか」でのコンンサートが初めてですが、大きな反響があって驚いています。

 今はどんな歌がお好きですか?

  •  若いころはロシア民謡などうたごえサークルらしい歌が中心で、歌謡曲には興味はありませんでしたが、今は年をとったせいか、歌謡曲にもいい歌があるなあと思うようになりました。吉幾三の「かあさんへ」とか「娘に」なんかいいですね。

 最近では伊深のまち協活動にもときどき参加していただいていますね?

  •  伊深の里山や自然を保全する活動ももちろん大切ですが、一番大事なのは人口減少が進む流れをなんとかくい止めて、これからも住み続けられるふるさとを守っていくことではないかと思っています。

    文集








    ◀会長時代、会のHPに投稿した「つぶやき」が冊子にまとめられた


●取材を終わって…………
 週に3回の人工透析を続けておられるそうで、普通の人間なら気力も落ち込んでしまいそうな状況にも関わらず、そんなことを感じさせないインタビューでした。それも明確な目標があるからこそ、なのだと感じられました。



 第8回  平田 由夫(よしお)さん(野地原 大正12年生まれ 91歳)

平田由夫さん

●はじめに……………
 シリーズ第8回目は野地原の平田 由夫さん。毎年の文化祭でユーモアあふれるマジックを披露してくださるおじいちゃん、です。90歳を超えておられるというのに車の運転どころか、携帯電話も使いこなしておられます。数少ない戦争体験者でもあります。
 戦争のこと、仕事のこと、ご趣味のこと‥‥。話題は多岐にわたりました。
(聞き手・文責:SO 2014.6.22)



 平田さんといえば、文化祭でのマジックや似顔絵の印象が強いのですが、若いころからやられていたんですか?

  •  いえいえ、どれも70を過ぎてから始めたものです。戦争や仕事に追われて、やっと自分の時間が持てるようになり、それからは、マジック、似顔絵、洋楽器などのほか、80を過ぎてから三味線も始めました。

 戦争へ行かれたと思いますがどちらへ?

  •  志願して海軍へ行きました。神奈川県の久里浜での訓練後、工作艦「明石」への配属命令を受け、トラック諸島へ向かったんですが、到着と同時に米軍の大攻撃を受け、下船することもなく引き返してきました。その後は終戦まで広島県の呉にいました。私は運よく生きて帰って来られましたが、伊深でも栄養失調で亡くなったり大けがをした方がおられたり、戦争はやはり悲惨なものです。戦争を経験したものとして、若者を戦場へ送ることはもうたくさんです。その意味で昨今の政治情勢には大いに危険なものを感じますね。

 終戦後はどんな仕事をやられたんですか?

  •  10年ほどは、豚や乳牛を飼ったりしていましたが、その後「はざ」用の縄を機械でなう仕事を始めたところけっこう需要があって、コンバインが普及するまでやりました。縄が売れなくなったころに息子が独立することになり、一緒に「スポット溶接」の仕事を始めました。最初は鳥かごを作ることから始まり、電気部品、自動車部品など引退するまで20年くらい作りましたね。

 その後は自分の好きなことを?

  •  そうです。似顔絵とマジックは通信教育で、ハーモニカ・アコーディオンは独学で、三味線は師匠についてといった違いはありますが、まあ、好きで続けられたってことでしょうね。

 90歳を過ぎてもお元気ですが、病気などは?

  •  おかげさまで、外科的には「腱しょう炎」などに悩まされていますが、内科的な病気には縁がないですね。『腹八分』に気をつけていて、今は一日二食です。日によっては一食のこともあります。タバコは40代のときに辞め、酒は今でも飲みますが大酒はしないようにしています。
     『病は口から入り、災いは口から出る』というのを自らに言い聞かせています。


似顔絵

◀一見して誰かわかるほど手慣れた「似顔絵」



●取材を終わって…………
 今でこそ多趣味な印象の平田さんですが、60代までは仕事一筋、その後趣味に没頭と、なかなかまねのできない生き方をしてこられたようです。死と紙一重の戦争体験者として、昨今の風潮に厳しく警鐘を鳴らすことばに重みがありました。



 第7回  木沢 猛(たけし)さん(下本郷 昭和24年生まれ 64歳)

木沢猛さん

●はじめに……………
 シリーズ第7回目にお会いしたのは下本郷の木沢 猛さん。自宅前をたくさんの花で飾り、道行く人の目を楽しませてくださっています。かつて「木沢商店」だったご自宅の玄関付近には今、おちょこ、抹茶茶わん、ミニカーなどの収集品や自筆のペン画などがところ狭しと並べられ、さながらミニ博物館といった風情でした。そのご自宅でお話をお聞きしました。
(聞き手・文責:SO 2014.5.19)


花飾り

 ご自宅前の花飾りは木沢さん自身がやっておられるんだそうですね?

  •  そうです。かれこれ20年くらいになりますかね。300鉢くらいあると思いますが、ペチュニア、ビオラ、サンジソウなどは種からとりますので、ほとんど今では買うことはないですね。結構もらったものも多くて、ホームセンターへ行くのは時期を見るためだけです。家のすぐ前を用水が流れているのも大きいですね。上水ではとても持ちません。

 お仕事は酒屋さんが長かったですよね?

  •  高校を卒業したとき、名古屋へ就職が決まっていたんですが、正眼寺の逸外老師に車で羽島へ連れて行かれ、そこでその酒屋に勤めることに変わってしまいました。今から考えればずいぶん強引でしたね。その後、太田、美濃、といずれも酒屋の営業職でした。別に酒屋にこだわったわけではないんですが、この業界は狭くて、情報が伝わっちゃうんです。それで「辞めたんならこっちへ来ないか」と引っ張られて、結局この3月まで酒屋の営業一筋ということになりました。

 道路わきのベンチも作られたとか?

ベンチ
  •  酒屋で使われていた材料をもらって作ったんです。近所の人が座ってしゃべったりできるようにとね。

 確か画がお得意でしたね?

  •  小さいときから描くことは好きでした。市や県の展覧会で入賞した賞品で絵の具などはだいたいまかなえました。手先は器用な方で、工作することや大工仕事、指し物、ペン画、陶芸などのほか料理もやりますよ。うちは田畑はないので野菜をもらったりすると、フキみそ、キャラブキ、ユズみそなどを作ってお返しするんです。でも、『器用貧乏』で、これというものはないんです。
    友人などでは趣味を極めて発表会をやったりするのもいて、つくづく「継続は力なり」と思いますね。

ちょこ

◀「何でも集めるのが好き」と言われる木沢さんの収集品のひとつ、おちょこ。棚ももちろん手作りです。


ペン画

◀牛牧の岩山、最乗寺を描いたペン画。



●取材を終わって…………
 作れそうなものは何でも自分で作ってしまう器用な木沢さんで、これならヒマを持て余すなんてことはなさそうでした。昨年ちょっとした病気に罹られたそうですが、そんな気配は感じられないほどお元気に見えました。




 第5回  渡辺幸子(サチコ)さん(上本郷 大正15年生まれ 87歳)

渡辺幸子さん

●はじめに……………
 シリーズ第5回目にお会いしたのは上本郷の渡辺幸子さん。若いころから保育園の園長先生として多くの子どもたちと関わってこられました。80代後半となられた今も動きは驚くほどはつらつとしておられ、その秘訣などを伺いました。

(聞き手・文責:SO 2013.12.26)

 いつもお元気そうで何よりですが、秘訣はあるんですか?

  •  保育園に勤めていたのが28年、辞めてからがそれ以上の30年になりますが、生活のペースを変えないよう、規則正しい生活と運動を心がけています。食事もバランスよく食べるようにし、海藻、大豆、らっきょなどは必ず摂るようにしています。

 伊深保育園ができたころから保育に携わってこられたんですよね?

  •  伊深へ嫁に来てから勧める人があり、保母の資格を取ったんですが、伊深保育園ができる前に最乗寺の先代の御院さんと二人で子どもを預かっていたことがあり、その後加治田の光宗寺さんへ子どもを大勢連れて通っていたところ、伊深に保育園ができることになり、半年後から伊深保育園へ替わったんです。

 保育園時代で特に思い出として残っていることはありますか?

  •  昭和43年の8.17豪雨があったとき三和にいたので、あのときは大変でした。建物のあとかたづけはもちろんですが、子どもに絵を書かせると真っ茶色の絵を描く子がいたり、暗くなると泣き出したりと。でも皆さんの援助があって復旧ができました。

 ずっと単車に乗っておられましたね?

  •  そのころは保母さんが子どもの送り迎えをしていて、そのために「ラビット」に乗るようになったんです。当時女の人で乗る人は少なかったですよ。

 今でも卓球を毎週やっておられるとお聞きしましたが?

  •  卓球は年をとってから始めたんですが、今でも毎週決まったメンバーと楽しんでいます。その前にはヨガ教室にも通っていました。今は自己流のヨガ、ラジオ体操、散歩が日課になっています。特に足が弱らないようにね。おかげで病気らしい病気はしたことがないですね。

 「太陽の家」へも引き続き通っておられるんですか?

  •  保育園を辞めてから10年間お世話になり、そのあと20年間はボランティアで毎週通っています。保育園時代の仲間や知り合いがときどきのぞいてくれるので楽しいですよ。人のことばですが「とにかく人と関わることが一番の老化防止」だと思って積極的に外に出るようにしているんです。

渡辺幸子さん

◀今でもときどき太陽の家で販売するためにボランティアで作り続けているという「お手玉」を手に。
『ひ孫に遊び方を教えていたら今では立場が逆転してしまって』とうれしそうに話されました。


●取材を終わって…………
 今年の4月に伊深・三和保育園が統合されることになりましたが、奇しくもその両園の創生期に園長として勤められた渡辺先生にタイミングよく貴重なお話を聞くことができました。実は管理人も伊深保育園でお世話になった口です。それにしてもひ孫さんと同居し一緒に遊べるなんて、うらやましい限りです。




 第4回  渡辺 寛(ゆたか)さん(上本郷 昭和5年生まれ 83歳)

渡辺 寛さん

●はじめに……………
 シリーズ第4回目にお会いしたのは上本郷の渡辺 寛(ゆたか)さん。以前にも伊深の歴史のことでお話を訊いたことがあり、ぜひ紹介したいと思っていました。今回は歴史のことだけでなく、編集子の知らないお話も聞けました。
(聞き手・文責:SO 2013.10.10)

 まず生い立ちをお聞かせください

  •  終戦のときが15歳。当時の加茂農林にいて、卒業後は農協、役場、加治田小学校などにしばらく勤めたあと、母が弱かったもので家にいたんです。その後、「役場へ出ないか」と声をかけてもらい、あとは昭和63年に定年退職するまで役所ひと筋でした。

 寛さんというとまず伊深の歴史にお詳しいという印象があるんですが、もともと歴史がお好きなんですか

  •  好きは好きでしたけど、伊深のことについては昭和48年から52年にかけて「市史」をまとめる仕事があり、佐野一彦先生のお手伝いをしたことが直接のきっかけでした。伊深にまつわる伝説やおとぎ話をお年寄りに聞いて歩いたんですが、それをきっかけに興味を持つようになりました。

 そのあとは?

  •  市史にまとめるだけではもったいない。これは後世に残していかなければと思うようになり、私なりにやさしくまとめることにしたんです。

 いくつか本を出されていますね

  •  ええ。「伊深の歴史年表」に始まり、「郷土の歴史」、「郷土の民話」、「古里風土」、「伊深のあんなこと こんなこと」で五冊を数えています。小学校でも呼ばれれば伊深の歴史についてお話しています。

 渡辺さんが選ばれた「伊深の五偉人」があるとおききしましたが?

  •  あくまでも私が思うところの、ということですが、重罰を覚悟で地元住民のために直訴した天和の伊深義民、私財を投げ打って天王用水を作った柴田長七、伊深温泉や発電所経営などに果敢に取り組んだ渡辺新一、村長・県会議員を永年勤めた井上太十郎、そして民俗学者の佐野一彦の五氏を挙げたいと思います。いずれも伊深にとって忘れてはならない功績を残した人たちで、そのことも語り伝えていきたいことの一つです。

 ほかにどうしてもやっておきたいことはありますか?

  •  大正時代に天王用水沿いで行われていた「蛍灯ろう会」が昭和63年に川浦川畔で復活し、5年ほど行われたんですが、それらの記録を整理し伝えていきたいと思っているんです。俳句や狂俳を灯ろうに貼って蛍とともに楽しむ趣向で、当時は夏の風物詩として盛んだったようです。

蛍灯ろう会 伊深の年表
▲(左)蛍灯ろうに貼られた狂俳の一枚(絵、書ともに寛さん)
▲(右)市史編さんのときに調べられ、寛さんの書でまとめられた「伊深の歴史年表」


●取材を終わって…………
 字数の制約で書ききれませんでしたが、寛さんの関心はこれにとどまることなく、○○にあるテイカカズラ、□□の仙人草、△△のテンポナシ(ケンポナシ)、◇◇のタラヨウなどの植物についても自分で調べたメモを整理しておられました。書や絵にも堪能なほか、牛牧の「ガンセキ」のいわれについて、“単に「岩石」ではなく、『岩堰(農業用の堰を岩を削って作ったところ)』ではないか”との見方も披露されました。お元気なうちにまだまだ多くの引き出しを覗いてみたくなる渡辺さんでした。




 第3回  西村 朝子さん(関也 昭和18年生まれ 69歳)

西村朝子さん

●はじめに……………
 シリーズ第3回目にお会いしたのは関也の西村朝子さん。夏祭りの「盆踊り」で民謡会のリーダーとして長年活躍しておられます。毎週行われている練習の合間をぬってお話を伺いました。
(聞き手・文責:SO 2013.8.22)

  伊深で「踊り」といえばまず西村さんのお名前が浮かぶほどイメージが強いんですが、もうお長いんですか?

  •  私は踊りでも、もともと日本舞踊の方で、民謡踊りはやっていなかったんです。姑が伊深民謡会というのを主宰していて、それを引き継いでから20年近くになります。

  日舞から盆踊りのほうに向かわれたきっかけは?

  •  ずっとNTTに勤めていて、姑が80歳になったとき、定年前の51歳でしたが、それを潮に退職したんです。踊りの方はそれまで「名取り」まで取っていたんですが、さらに上の「師範」の資格を取ろうと稽古に集中したのもこのころでした。そして、民謡会の方も姑から引き継ぐことにしたんです。

  伊深の民謡会の現在はどんな状況ですか?

  •  昭和50年ころに始まって最盛期には30人くらいの参加があるほど盛んだったようですね。その後8人でずっとやってきて第30回の発表会までやったんですが、残念ながら高齢化などで人が減り、今は会員3人で続けています。

  盆踊りの良さはどんなところですか?

  •  何といっても気軽に楽しめることじゃないでしょうか。それと自然に体が動かせて健康にもいい。私は伊深以外のところでも教えていますが、80過ぎの方もたくさんおられます。いわば「健康体操」のようなつもりでもやっておられるんですが、それでいいと思っています。

  若い方の参加はどうでしょうか?

  •  若い方にはテンポの速い曲が好まれるようですが、どんな曲でもとにかく楽しんだらいいと思いますよ。今年の伊深の盆踊りでは「日本ワッショイ」というテンポのいい曲を紹介したら、子供たちが随分参加してくれました。

  ところで盆踊り以外のご趣味は?

  •  社交ダンスも好きでやっています。背筋がピンと伸びて健康に良いですよ。

  これからの夢はありますか?

  •  特に子供たち。学童や伊深っ子クラブでも教えていますが、まだまだ子どもたち相手に少しでもファンを増やしていきたいですね。ただ、今の子どもたちは基本的なことがしつけられていないので、その辺から始まりですけどね(笑)。



西村さん

●取材を終わって…………
 市内外で踊りの師匠として活躍されている西村さんに「踊り以外のご趣味は?」とおききしたとき、返ってきたのは「社交ダンス」というお返事。いつも体を動かしていることが西村さんの身上なのだと改めて感じました。趣味の領域を超えて一筋に打ち込んでこられた姿勢が、きりっとした和服姿ににじんでくるような西村さんでした。




 第2回  森  昭和さん(下本郷 昭和8年生まれ 80歳)

森 昭和さん

●はじめに……………
 シリーズ第2回目にお会いしたのは下本郷の森 昭和(あきかず)さん。以前に大病を患われたことをお聞きしておりましたが、元気で地区のサロン活動に活躍されていることもお聞きし、一度お話を伺いたいと思っておりました。
(聞き手・文責:SO 2013.6.27)



 今年ちょうど80歳で、退職されてから20年になられるんですね?

  •  ここまで生きられるとは正直思っていませんでした。というのは53歳の時に胃の全摘手術を受けましたから。まだ関市役所へ勤めているときで、それからもう30年近くたちます。

 最初から関市役所へ就職されたんですか?

  •  いえ、最初は教職に就いたんです。通算6年ほどで、最後は関の旭中で国語と体育の担当でした。その後行政職に転じて定年まで30年以上勤めたんです。

 体育も担任されたんですか?

  •  バレーや野球なんかは好きでよくやりましたよ。

 退職後の公職は?

  •  固定資産評価委員や選挙管理委員、それと民生委員は9年間つとめました。今は保育園の第三者委員だけです。

 民生委員9年とは長いことお疲れ様でしたね。

  •  いろんな事情で高齢者のお世話ができない家庭があって、連日のように訪問したこともありましたし、訪ねていくと、「こうしてくれ」「ああしてくれ」とまるで小間使いのように世話を頼まれることもありました。

 伊深のふれあいサロンの立ち上げに尽力されたとお聞きしましたが?

  •  下本郷のサロンを平成14年に立ち上げ、その後、他地区についてもお手伝いしました。まだ市内でも早いほうでした。

 立ち上げただけでなく、それから10年以上も継続されているところが大変だと思いますが、その原動力はどこにあるんでしょうか?

  •  始めた以上続けないといけない、という責任感みたいなもの、それとやはり、家にいても話し相手がない高齢者がサロンに来て、いろんな話ができることを喜んでもらえること、それに尽きるんじゃないでしょうか。

 今の個人的な楽しみというとどんなことですか?

  •  今は体重が40kgで体力もないので外の仕事はダメですが、ヒマさえあれば本を読んでますね。どんな分野ということなく、いろんな本をです。

 当面のテーマはどんなことですか?

  •  今年10月に伊深の4つのサロンが合同で行事をやることになっていて、その運営がうまくいくようにしたいですね。送迎なんかの問題でね。津軽三味線を頼んでいるので、少しでも多くの人に見に来てもらいたいと思っています。


    ●取材を終わって…………
     しゃんとした姿勢と白髪がトレードマークで、一見固い雰囲気もある森さんですが、中には意外と柔らかいお話もありました。
     しかし、民生委員のころの苦労話などではやはり責任感の強さがおのずと伝わってくるようなお話が多々あり、生活態度もそのようにしゃんとしておられると確信できる森さんでした。



 第1回  村井 昭二さん(下本郷 昭和2年生まれ 86歳)

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●はじめに……………
 このシリーズ記事を始めるにあたって、まず名前が浮かんだのが、通称「村井先生」こと、村井昭二さんでした。80代後半にして現役バリバリ。伊深におけるボランティアの草分けのような存在です。昔から存じ上げてはいましたが、改めてお話をきくと、へぇーということもありました‥‥‥‥。
(聞き手・文責:SO 2013.4.17)



 昭和2年のお生まれということは、戦争にも行かれたんでしょうか?

  •  いえ。特攻隊に志願していたんですが、召集前に終戦になったため、結局はいかず、です。でもグライダーの練習はしましたね。17歳で終戦、おかげで今こうして生きているということです。

 その後、教職に就かれたんですね。そのいきさつは?

  •  伊深小におられたOさんが民間企業へ出られることになって欠員が生じ、どうや、と声がかかり、昭和23年からお世話になることになったんです。

 その後、先生一筋ということですか?

  •  ええ、定年までの37年間、中学校・小学校で過ごしました。ただ、当初代用教員でしたから、それではどうかということで、通信制の大学に通い、教員免許も正式に取ったんです。遠いところでは白川の坂ノ東、最後は太田小学校でした。

 これまでにいろいろなボランティアに関わってこられたとお聞きしましたが?

  •  民生委員や青少年補導委員、心配ごと相談員などのほか、下本郷のふれあいサロンも伊深で最初に取り組みましたね。

 今はどんな活動をされているんですか?

  •  保育園の「ふれあい先生」、これは畑や花壇の手入れをしています。小学校では「校外講師」ということで、竹とんぼや紙芝居をやっています。あと、親子文庫の畑づくりや視聴覚の毎月の映画上映などは今でも関わっていますよ。

 そうすると、ずっと健康でこられたわけですね。

  •  いえ、そうでもなくて。35歳のときに肺の手術をしましたし、持病の腎臓結石では入退院を繰り返しましたからね。今では定期的に検査を受けて気をつけるようになりました。

 今の生活サイクルはどんな風ですか?

  •  5時か6時に起きて、朝・昼のご飯は自分でやりますね。夕飯は息子たち家族と一緒やけどね。夕方まで外で仕事をして、寝るのは9時ころやね。日記をつけていて、百姓仕事や天気のことはちゃんと書き留めています。家計簿もね。

 お百姓仕事がお得意のようですが、他にお好きなことは?

  •  絵を描くこと、ちぎり絵も。ちぎり絵の材料の和紙は五箇山和紙がいいので買いに行ったりしましたよ。紙芝居の絵ももちろん自分で描きますね。


       ibukajin murai 04   ibukajin murai 03
     ▲自宅の居間に掛けられているちぎり絵  ▲同じく水彩画


    ibukajin murai 05 ibukajin murai 06
    ▲(左)スケッチブックに書き溜められた習作の一部
    ▲(右)自宅前の芝桜。きれいに手入れされていて村井さんの几帳面な面がそのまま表れているようです。



    ibukajin murai 01
    ●取材を終わって…………
     この日、保育園の畑で水やりをされているところを見つけてお話をききました。聞けば、「園の野菜の生育が気になって‥」とおっしゃっていましたが、こうして気配りができること、百姓仕事や絵、庭木の手入れなど情熱を注げる対象がいっぱいあることがお元気のもとなのだろうと思いました。まだまだお元気なうちに村井さんのあとを継がれるような方が多く出られることを願いたいとも思いました。

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